日伊国交樹立150周年記念 |
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CARAVAGGIO |
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ミラノに生まれたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (1571-1610年) は、西洋美術史上最も偉大な芸術家のひとりであり、イタリアが誇る大画家です。
彼の理想化を拒む平明なリアリズムや、劇的な明暗法によって浮かび出る人物表現は、バロックという新時代の美術を開花させる原動力となりました。 彼の画法はイタリアのみならずヨーロッパ中からやってきた画家たちによって熱狂的に継承され、その影響はルーベンスやラ・トゥール、レンブラントなど、17世紀の数多の画家たちに及んでいます。 |
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会期: 2016 3/1 [火]〜 6/12 [日] 展覧会は終了しました。 |
'2016 2_29 「カラヴァッジョ展」の開会式 & プレス内覧会の館内風景の画像です。 |
日伊国交樹立150周年記念 「カラヴァッジョ展」 |
カラヴァッジョ ―バロック美術の創始者にも数えられる偉大な画家 |
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【展覧会の見どころ】 ― 「カラヴァッジョ展」図録、プレスリリースなどからの抜粋文章です ― |
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カラヴァッジョの傑作 11点が集結 38歳で没した彼の現存する真筆は 60点強と言われています。 教会に設置されるなど移動不可能な作品も多い中、この規模の出品数は日本で過去最多、世界でも有数の内容です。 |
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カラヴァッジョの絵をキーワードで読み解く カラヴァッジョの芸術とその革新性を理解するために重要な、「風俗」、 「五感」、「静物」、「肖像」、「光」、「斬首」、「聖人」 などのキーワードを章のテーマに展覧会を構成。 多くの継承者 (カラヴァジェスキ) を生んだその革新性と魅力にせまるとともに、カラヴァッジョの芸術の何が 17世紀の芸術家たちを惹きつけたのか、その秘密を探ります。 |
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遺された古文書から、カラヴァッジョの人物像にせまる 天才画家にして諍いが絶えず、事件を起こし、投獄されてはパトロンや友人に助けられていたカラヴァッジョ。 当時の裁判記録などをもとに、生来の激しい気性から殺人を犯し、逃亡を余儀なくされた画家の波乱万丈の生涯を辿ります。 作品と併せて見ることで、彼の芸術と人物像の両面を同時に理解することができます。 |
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「カラヴァッジョ展」の展覧会構成 |
'2016 2_29 「カラヴァッジョ展」のプレス内覧会の館内風景の画像と、「カラヴァッジョ展」図録・出典資料などからの抜粋文章です。 |
T 風俗画:占い、酒場、音楽 |
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・ カラヴァッジョ 《女占い師》 1597年頃 油彩/カンヴァス 115 x 150cm ローマ、カピトリーノ絵画館 |
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・ ひとりの若くて美しいジプシーの女が金持ちの若者の手相から運勢を見る口実で指輪を抜き、盗むというこの特殊な主題について、カラヴァッジョの芸術的立場を集約するものとして 《女占い師》 を解釈しようとすることは、17世紀に既に始まっていた。 17世紀初頭にカラヴァッジョの継承者によって何度も手掛けられる主題となり、実際、イタリアとヨーロッパの芸術家たちは、この作品から霊感をえて同じ主題の異作を繰り返し描いたのである。 この数十年間研究の結果、本作はカラヴァッジョの若い頃の真筆であり、ローマに移住して間もない頃の作品だと認められる。 |
V 静物 |
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・ カラヴァッジョ 《果物籠を持つ少年》 1593-94年頃 油彩/カンヴァス 70 x 67cm ローマ、ボルゲーゼ美術館 |
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・ 紅顔の少年がりんご、桃、洋梨、ざくろ、ぶどうなど様々な果物を盛った籠を携えて表わされています。 これはカラヴァッジョがローマのカヴァリェーレ・ダルピーノの工房で下働きをしていた頃の作品と考えられます。 ダルピーノの工房では 「花や果物を描く仕事を与えられ、それらを本物と見紛うばかりに描いた」 と伝えられているからです。 こうした静物の写実的表現は、カラヴァッジョの生地ロンバルディア地方に伝統的な分野であり、彼の初期作品では画家の技巧を誇示する格好の要素として、盛んに取り入れられました。 |
X 光 |
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・ カラヴァッジョ 《エマオの晩餐》 1606年 油彩/カンヴァス 141 x 175cm ミラノ、ブレラ絵画館 |
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・ エマオの町にいたキリストの弟子 2人が、その正体を知らずに復活したキリストを夕食に招きます。 しかしキリストがパンを祝福して裂いた瞬間、彼らは客人の正体を悟ります。 カラヴァッジョはこの新約聖書に基づく場面を生涯に 2回描きましたが、本作は 2作目にあたります。 既に 17世紀からカラヴァッジョの反アカデミックな自然主義の表現として評価された。 簡潔な人物表現や、人物の自然なポーズ、縁の欠けた皿や壺、人体の解剖学的な探求の欠如にそれが表れている。 劇場的な効果や、光源を示さずに神の存在を表現する光の用い方、人物や情景のみすぼらしさは、16世紀のロンバルディア文化に由来する。 1606年 5月、カラヴァッジョはテニスの試合の賭け金のいざこざにより殺人事件を起こしてローマから逃亡、しばらくの間ローマ東郊にあるコロンナ家の領地を転々として身を隠しました。 本作は、その際滞在したザガローロという町で描かれたと伝えられます。 |
Z 聖母と聖人の新たな図像 |
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・ カラヴァッジョ 《法悦のマグダラのマリア》 1606年 油彩/カンヴァス 107.5 x 98.0cm 個人蔵 |
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2014年、カラヴァッジョ研究の権威であるミーナ・グレゴーリ氏が本作を発見し、カラヴァッジョの真筆による第一ヴァージョンとして公表しました。 本展が世界初公開となります。 様々な調子で描き分けられた肌の色、顔つきの鋭さ、肩から胸にかけて長く広がり、陰影に沈んだ頭部では重くのしかかる金色の長髪といった点が、作品としての質の高さを証明している。 キリスト教世界で篤い尊敬を集める聖女のひとり、すなわち娼婦からキリストの最も熱烈な弟子となった聖女マグダラのマリア、《法悦のマグダラのマリア》 においてカラヴァッジョはマグダラのマリアの精神が肉体から離れ、法悦に至り、この世の生を後にして、死を経て、自然そのものを超える天上の喜びに到達する瞬間を描いた。 彼女の姿を描くことで画家は彼自身も彼女のように悔い改める覚悟ができていることを示し、恩赦を求めたのである。 |
独創的な画家であり、自然主義者としての彼の劇的な描写は、 |
・ 作者不詳 《カラヴァッジョの肖像》 1617年頃 油彩/カンヴァス 61 x 47cm |
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本肖像は、ローマのサン・ルカ国立アカデミーに所蔵される、17世紀の同地で活躍した芸術家たちを同一のフォーマットで描いた一連の肖像画群中の1点である。 作者を同定することは難しいものの、カラヴァッジョの似姿を伝える17世紀初めの油彩として大変貴重である。 |
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カラヴァッジョ、「とてつもなく奇抜な男」 ―図録よりの抜粋文章です― |
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ミケランジェロ・メリージ、後に一族の出身地の名を取ってカラヴァッジョと呼ばれることになる男は、おそらく大天使ミカエルの日の 1571年 9月
29日、ミラノに生まれた。 4人兄弟の長男で、父は石積み工の親方フェルモ、母はルチア・アラトーリと言った。 1584年、弱冠 12歳半のカラヴァッジョは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの弟子でミラノに工房を持っていたベルガモ出身の画家シモーネ・ペテルツァーノ
( 1540- 96) のもとに預けられた。 ミラノにおける修業は 1588年まで 4年間続いたが、その後 1591年までの 3年間の消息は何ひとつ分からない。 |
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現実の示唆的な表現、光の劇的な効果、図像構想の独創性、そして彼以前には見られなかった極めて独自の絵画技法がカラヴァッジョの作品すべてを特徴づけるものです。 同時に、それらが彼の作品の近代性や魅力の本質であり、ここ数十年間に全世界を席巻している 「カラヴァッジョ・ブーム」 を作り出しているのです。 |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「カラヴァッジョ展」図録・ 報道資料 など。 |
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